はじめてのビオトープからの5年間 2007年〜2011年
はじめてのビオトープからの5年間 2007年〜2011年
こんにちは (๑′ᴗ‵๑)
デジタルデータってよく間違って消しちゃうんですよね。初期のビオトープの写真はほとんどありませんが5年間分をまとめてみました。
これまでに大きな変化が2度、1つは個人的なことで「引越し」、もう1つは「大地震」。その大地震の年までを一区切りにして振り返ります。
2007年 初ビオ!気合を入れて巨大流木を入れてみたりしました。
初めて買った睡蓮鉢。巨大流木を入れて、流木にはモス活着。奥は盛りソイルに各種セキショウ、頂いたアサザも入ってます。そして浮草は禁断の「ヒメボタンウキクサ」……かもしれません。ヒメボタンウキクサって、ウォーターレタスの矮小化したものなんですが、「特定外来生物」に指定された後もヤフオクで販売している人がいたんですよね。ウォーターレタスとは見た目も名前も違ってたので知らずに落札してしまいました。もちろん今は育てていません。
しかし、この睡蓮鉢は設置から数日後サッカーボールの直撃を受け悲惨な結果に。
ホームセンターでプラ舟40(現在のプラ舟30)を衝動買い。駅前園芸店で水辺の植物が入荷してたのであれもこれもと購入。トクサ、ヒメトクサ、ウォーターマッシュルーム、ミニシペラス、ベニフヒメアシ、他にもいろいろ詰め込んでました。睡蓮は日本自生のヒツジグサを導入。しかし、狭い中であれもこれもと詰め込むと淘汰されてしまうのだということも学びました。
北側のベランダで、初夏から秋にかけての昼間数時間しか陽が当たらず、ちゃんと育つか心配でしたが、日照時間による問題はそんなにありませんでした。とにかく育ててみたい植物ばかり。WOODPROさんのサイズの合ってないシステムプランターで横と前面だけ覆ってました。
2008年 いただいたオモダカがすくすく育ち、ますますのめり込む。
ヤエオモダカとヒツジグサの花が咲いて、デンジソウも導入して、可愛いカエルの浮き玉も見つけて、メダカの卵も孵化して、本当に楽しい1年でした。WOODPROさんのシステムプランターは当時はサイズのオーダーが可能だったので、プラ舟のサイズにあわせて作り直しました。
ホームセンターに行くとプラ容器がお手頃価格なので、ついつい買ってしまいます。当時住んでいたマンションは私の部屋に面したベランダが2㎡くらいあったため、かなり好き放題できました。
コンテナもつい買ったりして、容器がどんどん増えていくというありがちな展開を経験しました。
2009年 引越しで規模縮小。日当たりも悪くて挫折気味。
親子のノラ猫が水を飲みに来るようになり、ますます楽しくなりました。が、突然引越しすることに。プロにはちゃんとしたノウハウがあるんでしょうけど、素人の私には魚の引っ越しはハードルが高すぎ。屋外で飼育していた生体がほとんどだったのでなんとかなりましたけど、もうコリゴリです〜。
引っ越し先のベランダはものすごく狭く、やっとプラ舟1つだけ置ける程度。抽水植物がないとなんだか締まらないです。日当りも良くないし、空気も悪い、大雨の翌日ミナミ大量死、藍藻まで大発生。
引っ越しして環境が変わったせいか、何もかもが上手くいきません。更にはメダカも全滅。ひどい一年でした。仕事でストレスを抱え、私自身の精神状態も良くなかった頃です。
2010年 気を取り直して再挑戦するも、記録的猛暑の年。
気を取り直して再びプラ舟でメダカとミナミヌマエビの飼育を再開しました。育ててみたかったトチカガミも購入。左上の方の丸い葉っぱがトチカガミ。ヒツジグサは今年も可憐な花を咲かせてくれました。
2010年の夏はとにかく暑く、十和田葦は枯れ、アジアンタムは焼けてチリチリになり、ミナミも異常行動、金魚は飛び出し、もちろん人間もどうかなりそうでした。
睡蓮の葉っぱに乗り上げて気化熱で涼んでいるのでしょうか? こんなミナミヌマエビ、はじめて見ました。こんな猛暑の中でも生存してた稚魚2匹を確保。
後にこの2匹のどちらかがお父さんになって大繁殖します。
親メダカに食べられないように、大きくなるまで隔離してました。
2011年 大地震の年。ヒツジグサを種から育てることになりました。
3月、東日本大震災! ああ、もうあんな映像を見るのはツライ。小さな揺れでもビクビクするようになってしまいました。東京でも少なからず影響があり、普段と違う生活をしているうちに、水足しを忘れてヒツジグサを枯らしてしまうことに!
しかしながら、2011年は植物の再生能力に助けられた1年でもありました。ヒツジグサを種から育て、ここまで葉を広げるほどに成長。
トチカガミは植芽から再生、アマゾンフロッグビットは越冬で消えかけてた状態からなんとか復活しました。